映画「マトリックス」をどう視る?

本当の自分を生きる

わたしは映画でいろんな学びをすることが多い。

その中でも映画「マトリックス」です。

この映画は1999年9月11日に日本で公開してから何度も観ている。

何度?何十回も…

わたしには衝撃すぎて、理解したくて何度も観たのだと思う。

今でもこれに頼るときがある。

今日も観た!

2020年3月はネオと同じ状態で眠くて、眠くて起きていられない。

現実か夢なのか?区別がつかない。

・「起きろネオ」のシーンで白いウサギを追え!と言われて動いたネオ。

これは意識の行動じゃない。魂の行動です。

わたしも何かを知りたくて、白いウサギを追って今に至る。

・「トリニティと出会う」シーンではトリニティが

ネオは自分の現実に疑問を抱くように促され、

その疑問自体が彼を今の場所に連れてきたと告げられる。

わたしもそうだった、現実に対する疑問…ハンパなかった。

・「青か赤を飲むか 」のシーンではモーフィアスが

主人公は自分の気持ちに疑問を抱きながら、目覚めたいと思っている。

マトリックスとは、普段の生活や社会における様々な制約や偽りを指す。

真実は見えない牢獄であり、人々はそれに囚われていると述べられる。

赤を飲む=魂で生きるか?(目覚める) 青を飲む=操り人形で生きるか?(眠る)

わたしは赤を選択し、操り人形から脱出することができた。

保険会社の営業をやっていたからこそ、すべてがわかってしまった。

これは全部、創られた世界。

・「真実の説明」のシーンではモーフィアスが

仮想空間にいることが明かされ、服や道具、武器など、必要なものは何でも読み込める。

現実とは何かについての議論が行われ、感覚や思考が現実を定義することが強調される。

・「ネオvsモーフィアス戦闘訓練 」のシーンではモーフィアスが

マトリックスの世界は架空であり、基本原則はあるが、その原則を曲げて破ることも可能。

映像を観ながらこの会話を

モーフィアス「なぜ負けたと思う?」

ネオ「動きが早すぎる。」

モーフィアス

「私の方が早く強いとしても、そのことを私の肉体と関係あるかな?この世界で」

「君が吸っているのは酸素かな? 」

「もう一度 」

「どうしたんだ、もっと早いはずだぞ、頭で考えるな。」

「知るんだ。 」

「私を打とうとするな!」

「打つんだ!」

ネオ「意味がわかったよ。」

モーフィアス

「君の心を解き放とうとしている、入り口までは案内する、扉を開けるのは君自身だ。」

この説明でなんかわかってしまったんですよ!

今、起きてる現実は過去の自分が無意識で作り出しているのだと…

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